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Beauty Source キレイの魔法

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ルイーズ1876『変身』

ルイーズ 1876年 『変身』

シャルルが突然倒れたとき、真っ先に思い浮かんだのはあの方のことでした。
私だけが知っているというオペラ座裏手にある厩の隅にある秘密の箱に
伝言を書いた紙を入れておけば、すぐに駆けつけてくださるとのこと。
何人もの医者が首を振って気の毒そうにしているだけなのに耐えられず、
私はあの方を御呼びすることになったのです。

「倒れたとき、すぐそばにいればもう少しなんとかなったのだが。」
あの方は大きな黒いカバンの中から膏薬を取り出し、シャルルの後頭部にあてがわれました。
「夫は、どうなるんですの?」
「気の毒だが、このまま昏睡が続けば良くて半身不随、悪ければ・・・。」
「わかりましたわ。お医者様たちもそう言っていましたもの。覚悟はしております。」
「オペラ座建築の心労と、その完成の安堵感からきたのだろうな。」

あの方は数日、我が家にいらして手を尽くしてくださいましたが、それも虚しく、
シャルルの命のともし火は今まさに消えようとしておりました。
そのとき、私はあることをあの方にお願いしたのです。

「シャルルの代わりをこの私が?」
「ジェラールさんもご存知でしょう?シャルルがナポレオン三世陛下から永年年金を受け取っておりますこと。
オペラ座建築の功労と、今後の補修・改築等に携わるようにとの仰せなのですわ。
ですから、シャルルがいなくなれば・・・。」
「手当てもなくなるというわけか。」
「マドレーヌはまだ小さいし、これから教育も授けなければなりません。お手当てと申しましても、
そう多大な金額でもございませんので、私も働くつもりですけれど、
女手のこと、なにかと不如意になるのを少しは防いでくれると思いますの。
もちろん、ジェラールさんのお心次第でございます。」
「・・・。」
「夫は常々、オペラ座完成の本当の功労者はジェラールさんだと言っておりました。
勲章や年金も、半分はあなたがお受け取りになるべきだと。
ですから、本来お受け取りになるべき方のもとに、その栄光が戻ってくるのだと
お考えになってはいただけませんか?」

「女は、強くなるのだな。あの幼く、観衆の前で震えていたルイーズが。」
「こんな状態の夫の前で、このようなお願いをして、さぞかし嫌な女に育ったとお思いでしょうね。
でも、このことはシャルルの死が世間に知れてしまってからでは遅いのですもの。」
「よろしい、引き受けよう。ただし、ルイーズも私の頼みをきいてくれなくてはいけないよ。」

その言葉を待っていたかのように、シャルルは息をひきとったのです。
あの方はジュールというおそば去らずの男を呼び、すべての手はずを整え、
今後のことを私と打ち合わせました。
すなわち、夫をあの方の隠れ家のひとつに移し、しばらく静養しているかのように見せかけ、
密かに埋葬すること。
オペラ座の補修などに関する指令は、その隠れ家から夫の下請け業者に出すこと。
細かい指示が必要ならば、ともに作業をしていたあの方が、夫の名のもとに直接指導すること。
夫の悪筆のサインも、あの方はそれはそれは上手に真似なさるので、年金の受け取りから指示書まで、
不都合なことはないのです。

一方、あの方の頼みとは、私がお願いしたこと以上に奇妙なものでした。
それは、オペラ座に通われている方ならよくご存じの、オペラゴースト誕生の手助けをすること。
オペラ座にゴーストが存在するという噂の証拠となる足跡を残して住人や支配人を脅えさせたり、
あの方の指定した五番ボックスの連絡穴からメッセージを届けたり、
「オペラゴーストのための給与・月二万フランの小切手」をジュールに手渡したり。
旧姓ジリーを名乗り、クレアお姉さまのつてで新しく入り込んだボックス案内人が、
引っ込み思案のガルニエの妻と同一人物だとは、誰にも気づかれませんでした。

おかげで私と、私と同じくあの方のお母さまの名前をいただいた娘は、
シャルルの死を悼みながらもひとまず、安楽に暮らせる目処がたったのです。
あの方も二万フランの小切手を手に入れる以上に、
建築家・シャルル・ガルニエに成り変り、オペラ座では皆に恐れられる怪人になるという、
このふたつのファントムを演じることを愉しんでおられるよう。
私はあの方と一心同体に、この秘密を守り抜く決心をしているのです。 

2005.11.12


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